ナナオの世界

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こうのとりのゆりかご

―熊本市の慈恵病院が設置した「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」に新たに2人の男児が預けられた―

昨晩、こんなニュースを新聞で読んだ。
2人の男児は共に生後数ヶ月で健康状態には問題ないという。

この「こうのとりのゆりかご」の設置については運用される以前から随分話題になっていたのは多くの方がご存知だろう。
世論でも賛否両論あるようだが、これを読んでくださってる皆さんはどうお考えだろう?
私は正直、「よぉ〜わからん」。
『今まで捨てられて亡くなっていた命が、設置する事で1人でも多くの赤ちゃんを助けられるなら賛成』
という意見もあれば、一方では
『子供を捨てる親が増えるし、子供を捨てるという行為を助長する事になるだろう。だから反対』
という意見もある。
私はどっちの意見に対しても「そうやんなぁ〜」と思ってしまう。
だが、それと同時にいつも疑問に思う事がある。
「なんらかの事情で・・・」とか「やむを得ない事情で・・・」育てられなくなった赤ちゃんを預けると言うが、その「なんらかの事情」とはなんぞや?
「やむを得ない事情」って一体なんやねん?・・・って事。
経済的な事情か?それとも私が想像もできないような理由が他にあるのか?
どんな事情があるのか知らんが、一般的に人の卵子が受精して出産に至るまでには十月十日かかると言われてる。その約10ヶ月の間に、せめて我が子を捨てざるを得ないような状況を回避できなかったのだろうか?
もしくは「作らない」という選択肢をなぜ選ばなかったのだろう?
捨てられた子供達は何の罪もないのに、親に捨てられた事で心に暗い暗い影を持ったまま人生を生きていかなければならない。
もちろん、明るく前向きに幸せな人生を送る子供も中にはいるだろうが。
そして、本当に予想外の出来事のせいで、断腸の思いで我が子を手放さなければならなかった方もいらっしゃるだろうとは思うが、事の多くは「作らない」という選択肢を選ぶ事で解決できるんじゃないだろうか?
・・・と勝手に私は思っている。あくまでも私が勝手に。

私のような意見はまだまだ考えが浅いのか?
もっと複雑で難解な事情があるって事?

何れにせよ子供は大人の勝手な事情で、勝手な「行為」で誕生する。
望まれても望まれなくても。
「新しい命が芽生える」という事を、大人と、さらには親になれる可能性がある人全員がもっと重く真剣に考えないといけない。

  • 2007.06.18 Monday
  • 16:20

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